……なんでこんなことになったんだったか。
魔道書のページをめくりながら、けれどその内容はちっともリナの頭の中には入ってこない。
あるのはよくよく考えてみた今の状況のことばかりで。
それでも早々に追い出さなかったのは自分だし、何より――
困ったことに、あまり嫌ではないような気がするのだ。
ぽふ、とリナは後ろに身体を預けた。
腰にまわされている腕はそのままで、もう片方の手がゆるく髪を撫でてくる。
視線を上げてみた。
――ガウリイ。
「どした?」
「……んーん。なんでもない」
「そっか」
見慣れた笑顔。
少しだけ恥ずかしい気はあるけれど。
――やっぱり、どうも自分はこの状況が嫌ではないらしい。
発端は、朝食後のことだった。
「しっかり雨降ってるわねー……」
宿の食堂。
窓から外を見、リナは少しだけ顔を歪めた。
「どうするんだ?」
「……お昼までにはこの町を発とうと思ってたけど……
まぁ、別に急ぎの旅でもないしね。
今日は宿で魔道書でも読んでることにするわ、あたし」
それがリナの答えだった。
ガウリイは特に不満を言うわけでもなく、そのときはそのままお互いの部屋に戻ったのだったけれど。
魔道書を読みはじめてからそうしないうちに、リナの部屋のドアがノックされた。
「リナ、ちょっといいかー?」
聞こえてきたのはガウリイの声で。
「……開いてるわよ」
リナは魔道書から目を離さずに、そう応える。
入ってきたガウリイはベッドの上にいるリナの横に座り、そこでようやく彼女は顔を上げた。
「どうかした?」
「ん、いや……することねえなあと……」
「……剣の手入れでもすれば?」
「そうだなあ……」
そこで会話は途切れて、リナは再び魔道書に視線を落とす。
どうやらガウリイがいても気にしないことにしたらしい。
当の彼は、リナの隣に座ったまましばらく暇そうにしていたが、やがて、ふと思い付いたようにリナの髪へ手をやった。
後ろから腕をまわして、抱えるようにそっと触れてみる。
「……なによ?」
いつもは魔道書に没頭してしまうとあまり反応しないのだが、今日はいくらか意識がこちらにあるようだ。
リナは、鬱陶しいとでも言いたげに不機嫌そうな声を漏らした。
「いや……なんとなく」
応えながらもガウリイは手を離さず、リナの髪を指に絡めて梳いている。
「……ジャマするんだったら出てってよね」
「そういうつもりはないんだけど、な……」
甘く睨んでくるリナに、それでもガウリイはそれをやめない。
「……もー……」
小さく息をはいてから、彼女はもう一度魔道書に気分を集中しはじめた。
怒って追い出すより、諦めて無視することにしたらしい。
ガウリイは嬉しそうに瞳を和らげると、そのままリナの髪に触れていた。
心地好い雨音の中、時折、本のページをめくる音が加わる。
そしてリナが魔道書に没頭しかけた刹那――
「ひゃう!?」
突然、悲鳴が上がった。
「……あ。すまん」
「な、なにすんのよ!?」
のほほんと謝るガウリイと、少しだけ顔を赤くして耳元を押さえるリナ。
ずっと髪を梳いているうちに、ガウリイの指先がリナの耳を掠めたのだ。
思わず反応してしまった自分が少し悔しかったりもするのだがまぁそこはあえて忘れることにして、彼女はガウリイの髪を、ぎうう、とひっぱった。
「痛い痛いリナ」
「だから、ジャマするんだったら出てってよもう!」
そう声を荒げてみたけれど、ガウリイは髪をひっぱるリナの手をつかみ、
「もうやんないって。な?」
「…………」
言ったことばに、けれどリナはふくれたままだ。
ガウリイは彼女の頬に手をやり、瞳に口付ける。
それで謝る代わりだったのだが――
「……ん」
くすぐたかったのか、首を竦め、リナの口から小さく吐息が漏れる。
無意識にか、やわらかい指先がガウリイの手首のあたりに触れた。
――耐え切れず、素早くガウリイは彼女の唇を塞ぐ。
一瞬だけ抵抗を感じたが、拒絶するでもなく逃げるでもなくリナはそれを受け止めた。
「………………だから。そーいうのがジャマしてるってゆってんのよばか」
唇を放すと、心なしか先ほどよりもさらにふくれた感じで、リナはそう言ってくる。
「すまん……」
ガウリイが苦笑してもう一度謝ると、
「……今度ジャマしたらホントに追い出すからね」
言って、リナはまた魔道書を手にとった。
いつのまにか後ろから抱き込まれるような体勢になってしまっていたのだけれど、もはや気にせず、彼女はガウリイをイスだと思うことに決めていた。
当の本人がそこから退こうとしないので、特に異論はないと見なして、リナは彼にもたれかかるようにしたまま魔道書のページをめくった。
その後も髪を撫でられたりはしたものの、それ以上のことはしてこない。
今度こそ魔道書に没頭するべく文字を目で追うのだが、それでも、やはりどこか意識は背中のイスにあるわけで。
そんな状態が今もずっと続いている。
集中できないから、と改めて追い出そうかとも思ったりはしたが――
やはり何度考えても、この状況を嫌がっていない自分がいる。
考えるのをやめ、リナは、何度目かのため息をついた。
雨は、昼になる前には上がったようだった。
いつしかガウリイはリナを抱えたまま眠ってしまい、 リナはリナで、ずっと全身にあたたかさを感じていたせいか、うとうととしはじめていた。
――まあ、たまには、いいか……
ぱたん。
リナは、手の中の本を閉じた。
一眠りして、起きたら二人で遅めの昼ごはんでも食べに行こう。
頭をガウリイの肩に預けると、金の髪が頬にかかる。
そっと手を伸ばしてみた。
意識を半分手放しかけているからか、髪に触れた指先は、すぐに彼の腕の上へと落ちた。
ふわあ、とあくびする。
リナは小さく口を動かすと、そのまま瞳を閉じた。
おやすみ――ガウリイ。