――特に用があったわけじゃなかった。
夕食が済んで、お風呂にも入って、けれど、寝てしまうにはまだ少し早い時間。
かといって魔道書を読みふける気にもなれず。
なんとなく、ガウリイはどうしてるだろうと気になった。
同じように暇を持て余しているとしたら、ちょうどいい。
たまには雑談して過ごすのもいいだろう。
リナは、隣の部屋のドアを軽くノックした。
が、いつもならばすぐに返ってくるはずの返事がない。
「……ガウリイ?」
名前を呼びながら、もう一度ノックしてみる。
それでも返事はなかった。
試しにドアノブを押してみると、鍵は開いている。
「ガウリイ、寝てるの?」
声をかけつつ中を覗き込んで――そこには誰もいなかった。
灯りすらついていない。
どうやら、どこか別の場所にいるらしい。
リナは少しだけ考え、ガウリイを探すことにした。
みゃあ、と鳴き声。
一階の酒場を見まわしたあと、宿屋の裏口から外に出てみたときだった。
(……猫……?)
鳴き声のしたほうへ足を向ける。
数歩進んだところで、広がる雑木林の手前にしゃがみ込み、茶色の毛並みをした猫を撫でている青年の姿が見えた。
「ガウリイ?」
近付きながら声をかけてみる。
「ん?」
呼ばれて振り向いた彼は、大きな手で猫を抱き上げながら、笑顔で立ち上がった。
「どうした? リナ」
「……いや別に、どうしたってわけじゃないんだけど」
ガウリイに抱えられた猫は、気持ちよさそうに、ぐるぐるとのどを鳴らしている。
「ずっとここにいたの?」
「ああ。晩メシ食ったあとに、こいつ見かけてな。
遊んでたんだ。特にすることもなかったし」
応え、ガウリイは近くの石の上に腰掛ける。
膝の上に猫を乗せると、それは丸くなった。
どうやら、すっかりガウリイに懐いてしまったようだ。
一人で突っ立っているのも何なので、リナはガウリイの前にしゃがみ込んだ。
そのまま膝の上に肘を乗せ、両手で頬杖をつく。
「ずいぶんと人懐っこい猫ね」
「そうみたいだな」
リナの言葉に返事しつつ、ガウリイは猫を撫でている。
何だろう?
なんとなくつまらない。
かすかな疎外感を感じて、リナは黙り込んだ。
頭や胴体をゆっくり撫でられている茶色の猫は、幸せそうにガウリイの膝の上で寝ている。
リナは、片手を伸ばしてみた。
とたん、猫が威嚇のうなり声を上げ、その手の甲を爪でひっかいた。
「っあ……」
痛みが走り、リナはとっさに手を引いた。
「リナ!」
慌てたようにガウリイが腰を浮かせる。
茶毛の猫は地面へ飛び降り、雑木林の中を逃げていった。
「リナ、大丈夫か? 痛いか?」
「だ、だいじょーぶだってば。ちょっと爪がかすっただけで」
ひっかかれた手をとり、心配そうに訊ねてくるガウリイへ、リナは苦笑しながらそう応える。
「けど、血が出てるじゃないか」
「出てるって、にじんでるだけじゃないのよ。
このくらいなら舐めとけば治……って、ちょっとガウリイっ」
言い終わるより先にガウリイが傷口へ唇を当ててきて、リナは戸惑いと狼狽の入り混じった表情を浮かべた。
リナがしゃがんだままなので、自然とガウリイも片膝を立てて跪いた格好になっている。
それはまるで騎士に忠誠の証を受けている姫のようで。
悪い気はしないのだけれど、やはりどうにも恥ずかしい。
とはいえ何故だか無下に振り払うのも気が進まない。
「ん。これでいいか」
少しのあいだ傷口を舐めて、やがてガウリイはそう呟いて顔を上げた。
次いでリナと視線を合わせると、不思議そうに瞬きする。
「どうした? リナ」
「……いきなし何すんのよ」
拗ねた声で、甘くガウリイを睨む。
ちなみにまだ手はとられたままである。
「うん? リナが言ったんだろ? 舐めとけば治るって」
言いながら、ガウリイはもう一度、リナの手の甲へ口付ける。
さっきまでとは違う、触れるだけのキス。
「そ……そりゃ、言ったけどっ……」
恥ずかしさが増して、今度はすぐさま手を振り払い、立ち上がってガウリイに背中を向ける。
そんな彼女に苦笑を浮かべ、ガウリイも立ち上がった。
「猫、逃げちまったな」
雑木林のほうへ視線を向けて小さく呟くガウリイ。
リナは首だけで振り向いた。
ふと、わずかな疎外感を思い出す。
「……淋しいんなら探せば?
もしかしたらまだその辺にいるかもしんないわよ」
言うだけ言って、リナはその場から歩き出した。
が、すぐに左手をつかまれる。
「別にいいさ。
――猫なら、ここにもいるしな?」
「へ?」
瞬間的に理解できなくて、リナは惚けた声を上げた。
それに構わず、ガウリイはしっかりと彼女の手を握ると、
「んじゃ、部屋にでも戻るか。
つってもまだ寝る時間でもないし、することもないんだよな……
お前さんも暇なら、話し相手、頼んでいいか? リナ」
微笑んでそう言うガウリイに、リナは二度ほど瞬きして――
少しだけ、嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「しょうがないわね。付き合ってあげるわよ――」
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